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2008年7月17日 (木)

うわっつらな言葉

「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云へリ」

福沢諭吉の言葉だが、これはこれだけでは意味はなさない。

福沢諭吉を尊敬していると公言している会社の上の人がいて、「諭吉かよ」とちょっとバカにしてたのだけれど、この言葉のおかげで曲解してしまっていた。なんと、今までである。

この言葉の本当の意味は逆なのだが、頭の悪い大人が多かったせいである。あるいは曲解させてやろうという頭が良くて人間が出来ていない大人がいたせいかもしれない。そういう人の声ほどでかい。ウソをついているヤツの声がでかくなるのと同じようなものか。

過去の人の有名な格言というのは、有名であるほどそういう汚泥にまみれがちである。それは、世の常であって、どっかの政治家の言葉の一部だけを引用している新聞記事なども同じ。東スポと姿勢は変わらない。「すべてのものには裏がある。何事においても、裏を読み取れ」という信号をわざわざ発してくれているという点で、まだ東スポのほうが人は良い。

みずほファイナンシャルグループ社長の前田晃伸氏は、福沢諭吉と同郷で大分県中津市の出身である。家の近くの公園の石碑に、その福沢諭吉の

「独立自尊」

という言葉が刻まれていて、それを目にしながら育ったということである。

『学問ノススメ』。その言葉の真意は、「天のそういう意思にもかかわらず、なぜ人間に格差が出来てしまうのか。それは学問をすることとしないことの差からくる。そして、学問の目的とは、独立自尊なのである」ということであって、諭吉の要諦は冒頭に上げた言葉ではなく、本来はこの独立自尊という言葉に集約されるべきものであろう。

「これはとても孤独な言葉でもあります。誰かに寄りかかることなく、最後は自分自身で責任をとるということだからです。これまでの人生の中で私は、進路を決めるときや経営上の大きな決定を下すなど、決断が必要な場合では、常にこの言葉を思い浮かべ、心に置いて来ました。」。前田さんはそう続けていた。グループ総帥となられた前田さんは、そうご自分でこの言葉を踏まえられている。

諭吉は、まず「あんま」を身につけたそうだ。いざとなったら「あんま」で食べていける。

彼の言う学問とはそういうことも入っているのである。

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