100点のものを作れない国
以下、個人的な日記。
信用と信頼というのは、まともな製造業・サービス業など実体経済の根幹となる。
金融はそれと切り離されて動くように見えるが、最終的な着地地点が実体経済と切り離されると、バブル経済だったりサブプライムの問題のように必然的に崩壊する。
共産主義というシステムは、人間の欲望を計算していないという点で心理学的に崩壊することは目に見えていたシステムである。理性や知性というもので作られた形而上学的なシステムは、言葉でつくられた哲学や社会学が砂上の楼閣であるのと相似で西洋人が信じているほど完全ではない。
サブプライムが崩壊したのも同じようなもんで、欲望とか無意識とかがシステムで制御できるというのは幻想だ。
ロンドン在住の20代の若いカップルと香寺へのツアーで出会った。
若いコはやはり若いだけあって、いろいろまぶしいのだが、男はどこでも一緒で考えの若さというものは会話に出ていた。
ツアーの場所が仏教の寺だったこともあり、彼女にアニミズムとかタオは勉強したとか言って解説をしようとしていたが、古今東西女のコはそんなものに興味などない。すぐさま、彼は話題を変えた。
そのあと、ふとした会話から「日本人は祖先を大切にするか」と私に聞いてきた。彼女との会話が不完全燃焼だったからかもしれない。
一神教を信じていて、それ以外を宗教とは認めない西洋人は個人的にバカだと思っているので、
「そうだ。日本人には仏教徒が多いがそれを信じているわけではない。もし、祖先を大切にすることを君が宗教と呼ぶなら、それが日本人の多くに共通する宗教だろう」というに留めた。
彼のキリスト教的世界観を崩すほど英語が堪能なわけでもない。なので、そんな言葉になったが、言い方に険が出ていたのかもしれない。さすがにそれなりに勘もいい。それでその話題は終わり。
その後、その彼と少し話をした。
もっとも不完全燃焼なのは彼だけではなく、そういうのはきちんと英語で反論できなかったこっちにも飛び火する。なので、こんなロクでもないことを書くはめになる。
そのツアーには金持ちセレブのニューヨーカーがひとりいた。自己中で世間知らずなバカ女だったので、少々むかついたときに多少バカにした口を聞いてあとは近くに寄らなかった。
香寺は山を登って参拝する。水を買うための小銭がないとか騒いでいた彼女に、金を貸してあげたのがその彼だ。もっともこの先彼女が小銭を作る機会などないので、はじめから彼女にお金はあげるつもりだったろう。
そういうことをあたりまえにできるというのが無垢な若さで、それをまぶしく感じたのである。
イギリス人だったりアメリカ人だったりの育ちのいい感じのコはそういうところがある。彼らの信用と信頼というのはキリスト教的な世界観の中で培われるのかもしれない。
ただフランス人は個人主義者なのでそんなことはしない。まあ、でもいろいろある。宗教などは関係ないのかもしれない。
マレーシアの仏教とベトナムの仏教は、どこか似ている。ただ大乗仏教だからというわけではなく、現世利益という点で。
中国仏教のお寺で祈る人のうしろ姿が、私にはどうにもいつも気持ち悪く見える。
一心に祈る姿に「自分が幸福になりますように。禍いは他人にふりかけたまえ」的な姿勢が見える。
マレーシアで池にカメが飼われている寺があった。カメのえさが売っていた。そこのカメは草食なのか、そのえさはなんかの草を束ねたものだ。
現地の華僑と結婚した友達に聞いたら、「禍は人のところへ飛んでいけ」と願いながら、その草をカメに向かって投げるのだそうだ。草なのでなかなか思うところへは飛んでいかないのだが。。そんなふうにかめにえさをやることすら、身勝手な祈願に組み込まれているのが、中国仏教というものである。
自分さえよければそれで良い。そういった国ではたしてまともなモノが作れるのだろうか。
考えが甘いといわれるかも知れないが、信用や信頼が崩れた国、自分だけがよければそれでいいという心情が大勢を占める国では、最終的にはせいぜい良くできて70点くらいのモノしか作れはしない。そういうところへ数値的に落ち着いていくように思う。友達には申し訳ないがインドもこのあたりは似ている。
日本でも信用は崩壊したりはするのだけれど、あそこまではいかない。
それが日本人の誇りというものなのかも知れない。
すくなくとも、自分は自分と人の両方のために生きたいとそんなふうに願う。
再度モノを作る仕事にチャレンジしないといけない。
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