不安定という安定
BLUEBACKSの『進化しすぎた脳』(著:池谷裕二)に意思決定についてのおもしろい文章があった。
池谷氏、学生といきなりジャンケンをはじめるのだが、その際に出したグーなりチョキなりというのは、いったい何によって意思決定しているのかという話で、要は「特に理由はない」というところに行き着くと。
行き着いても、チョキなり、パーなりは出しているわけで、これはなんなのかというと脳のゆらぎだと。
「ネコに視覚刺激を与えて、視覚野のニューロンの発火する様子を測定したところ、発火するかどうかは、膜電位が浅いか深いかによって毎回違うという。つまり脳の内部の「ゆらぎ」によって、神経の反応が相当に違ってくることは、ミクロなレベルでも証明されている」
脳科学や生理学、生物学などというのは、物理学などとちがって実験の上でいろんな解釈が成り立つ。それゆえ、「信」と「知」が混合する実は結構怪しげな世界でもある。
アラン・ソーカルは「知の欺瞞」の中で、生物学というものと物理学というものを意識的に区別している様が散見されるのであるが、それはそういうところに起因する。
脳生理学者である池谷裕二氏は、まだこの本を書いた時点ではバリバリの研究者で若いということもあって、「知」と「信」に対する情報の扱いがあいまいで、かなりあやうい。この文章の後ろで展開されている彼の考えというのは、彼自身が断っているように「敢えて私は誤解を恐れずに、自分なりの意見を述べ」ているので、んん?となることもあるのだけれど、逆にそれで「いや、違うんじゃねえか?」っていう読者の思考のダイナミズムが削がれることがない。それが、若い人の本としてのBLUE BACKSの魅力だったり。
「名人は危うきに遊ぶ」というが、危ういところがおもしろいのは凡人にとってもそうであったりする。
ソーカルはソーカルですごい考え方は好きで、そこは絶対落としてはいけないし、「信」を「知」だと間違えたり、鵜呑みにさせられたりでバカをみるのはもうたくさんだと思うのだけれど、不安定さで遊ばなければ、いや遊べなければ、物理学の進展もないことを考えると、「脳のゆらぎ」なんていう怪しげな考え方も認めないと人生面白くはなかろう。
そういう意味で「脳のゆらぎ」というのは、不安定さを求めるべき人の真髄で、それこそ人の脳髄のようなものだとも思う。
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